三姉妹の長女の私。
3学年と、5学年離れた妹がいます。
物心ついた時から、
「しっかりしている」と言われてきました。
他人に言われるのはさておき、両親や祖父母から言われるのは、長女なんだからしっかりしてほしいという願望が言霊として強く込められていたという事実に気づいたのは大人になってからの話。
もともと楽天的な性格もあり、「しっかりしている」と言われることに対して、深く考えたことはありませんでした。
よって、自信を持てたことも、逆にもっとしっかりしなきゃとプレッシャーに感じることもありませんでした。
が、ある日母が突然亡くなりまして。
突然死でなくとも、遺族はやることがたくさんあると聞きますが、
母の場合それは本当に突然で、実感が無さすぎて泣けないというのもありましたが、実際泣いている暇はありませんでした。
お寺へや地域の班長さんへの連絡など、父や妹がしてくれたこともたくさんあります。
母の死後、子どもがまだ小さかったこともあって私は毎日自宅へ帰っていた為、お通夜の夜の線香の火を絶やさずに故人を見守る「寝ずの番」は、父と妹二人が交代でしてくれました。
母の最後のお見送りをする為に、遺族が手分けして進めなければいけません。
私は、親戚やご近所さん・友人への母の死の報告・自分の職場、母の職場への連絡・葬儀業者の選定から告別式の打合せ・・生命保険会社への連絡などをしました。
初めての方、ご無沙汰の方といろいろな人と話をする中で、図らずも
「あなたはしっかりしてるから」
「あなたがしっかりしてるから、、」と言われることが多かったです。
「しっかりしてるから」に続く言葉は、
”大丈夫ね”でしょうか。
”心配要らないね”でしょうか。
「心配したけど、元気そうでよかった」とも言われました。
母を亡くした、人生でこれ以上があるのかと思うほどの悲しみ・苦しみの中で言われるその言葉が、沈んだ心をさらにずっしり重くしました。
こんな時も、言われるのか。
しっかりしてたら、どんな時でも大丈夫?
元気そうって、元気なワケない。
心臓がドキドキバクバクして眠れない。
背中が痛い。
喉から胸が締め付けられるようにずっと苦しい。
悪気は無いって分かってる。
でも、悪気は無いと思うからこそ、感じることはただ一つ。
この状況の人にその言葉を言える人は、苦しみを伴う悲しみを知らないとても幸せな人生であるということだけ。
他人の幸せを羨み、頭と心に霧がかかる。
でも、分からないことは仕方がない。
立場が逆だったら、私も言ってしまったかもしれない。
突然死で大切な人を失った方がいて、どうにか元気づけられないかとこのブログへたどり着いた方がいらっしゃったら。
安易な励ましの言葉は不要です。
苦しみの最中では、何を言われても空しいだけ。
苦しみの最中で、他人を癒せる言葉はありません。
弔問をしてくれたことだけで、十分励ましになります。
深い苦しみや悲しみを知っている人ほど、来てくれるだけ、居てくれるだけ、泣いてくれるだけでした。
弔電や、LINEギフトはとてもありがたかったです。
「現金な人」と思われるでしょうが、「へた」な言葉より物の方がよっぽど励ましになりました。
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