亡くなるようには見えなかった。亡くなるように見えた人なんている?

母を想う

母が亡くなって、2年が過ぎた。

母が亡くなるほんの数か月前、職場の裏の家のご主人が亡くなった。
だいたい、年は80歳前後だろうか。

どこが悪かったのか知らないが、入退院を繰り返していたようだ。

穏やかに、よく庭先に座って何かを飲んでいた姿が印象に残っている。

そこへ私が通りかかって挨拶をする程度だったけれど、とても亡くなるようには見えなかった。

と、母に言った。

すると、

亡くなるように見えた人なんているん?

と。

知人や身近には居ないけど、ドラマとかだと咳き込んで押えたハンカチに血が付いてとか―

と、言ったら、

そんな人、居ないがな。。

と。

人が亡くなること自体が、人生にそう経験することじゃないしね。

医療従事者だったり、親戚が多かったり、昔みたいにご近所付き合いが濃かったり、私自身がもっと年をとってくれば違うのかもしれないけど。

なんて話していたのに。

一般的に人が亡くなる時って、

体にどこか悪いところが見つかったり出てきたりして、入退院を繰り返し、

余命宣告があって、病院から容態急変の電話が家族に頻繁にかかってくるようになり、治療法が見つからなくなったり、治療が効かなくなって

会いたい人に会わせてあげる、好きだった食べ物を食べさせてあげる、行きたい所に連れ出してあげる、

今までの感謝を伝え合い、言っておきたいことを言い合って、

本人も周囲も、もう永くないのかなと悟ってから、その時は来るものだと思っていた。

母の父も、心臓突然死で急死した。

母の父も、亡くなるまでとても元気だった。

母の従妹は、何十年も透析療法を続けている。

父方の祖父母は、同居だった母(祖母からみて嫁)に、何度 入退院の手続きや検査の付き添いや通院の送迎を頼んだだろう。

ちなみに、父方の祖母はまだ健在。

人の寿命、お迎えの順番て、本当に分からないんだな。

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