生きていて良かったと思っていない

母を想う

医師の西川史子さんが、脳出血で入院し退院した時にインスタグラムで、

実はまだ一度も生きていて良かったと思っていないんです。
それだけ、この4ヶ月間は辛くて苦しいものでした。

https://www.instagram.com/p/CXi2yPvP62p/?hl=ja

と綴っています。

私自身、癌で手術をして痛みを伴う治療もあったものの、放射線治療や術後のリハビリなどはしていないので、過酷な治療は分かりません。

外からの痛みと中からの痛みとまたその両方だったり、いつ快方するのか分からない出口が見えない毎日やリハビリを続けても改善しない症状など、生きていることが辛いと感じることってあるのでしょう。

それでも、

心臓突然死である日突然就寝から目覚めることができず、たった一人で息を引き取った母を想うと、

せめて一度は命拾いしたかったんじゃなかろうか

一度でも助かって延命できていたなら、

やりたかったこと伝えておきたかったこと、会っておきたかった人、残しておきたかった物、処分しておきたかった物、引き継いでおきたかったこと、教えておきたかったこと

等々、あっただろうに。

生きていて良かったと思えるような幸せは見つからなくても、

死んでなくて良かったと思える程度の心の準備は

本人も周囲もできたかもしれない。

例え助からなかったとしても、搬送された病院のベッドで生きた母と対面できていたらと思ってしまう。

突然病院に行ったところで、いつも元気だった母がどうしてと訳も分からず、ありがとうも、さようならも言えなかっただろう。

でも、まだ生きた母と、まだぬくもりのある母の手を握りたかった。

検視を終えて、冷たく固くなりかけた母の手を思い出すと、

ずっと家族の為に、贅沢をせず尽くしてくれた母を、

本当はとても臆病だった母を、

誰にも看取られず一人で死なせてしまったことが、とても悲しくて悔しい。

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