母の死から、2年3ヶ月。
突然のお別れだった。
子どもを見に来てくれていた妹と駆け付けた時は警察の検視中で、すでに亡くなっていた。
救急車を呼んだが応答がなかったとのことだったので、危篤だと覚悟して駆け付けたものの亡くなっているとは思わず、驚きすぎて涙も出なかった。
悲しむよりも、状況を飲み込むことができずに呆然としていた。
警察の問いかけに、淡々と答える自分が不気味だった。
母の死による、悲しみの底はいつだっただろうと考える。
駆け付けて、亡くなっていると知った時、胸から喉にかけて何かこみ上げてくるような締め付けられるような違和感・気持ち悪さがあった。
その苦しいような違和感は、母の死後半年は続いたように思う。
検死が終わり、母の亡骸に近づくことが許され、まだ温かさが残るような寝ているような母の顔を覗いた時。
「お母さん」と声をかけても、二度と返事が返ってくることはないんだ、二度と自分の名前を呼ばれることは無いのだと思った瞬間。
母が亡くなって、一度帰宅した晩の脱力感。
遺体を清める納棺の際、白く冷たく固く昨日までとはまた違った姿に変わり果ててしまった母。
火葬の炉に入れられる瞬間。
二度と戻らないと理解しているはずなのに、やはり姿形が無くなってしまうことに別れの覚悟があまりにも足りない。
その後、49日法要、月命日、母の日、新盆、お墓の建て替え、母の誕生日、一周忌、三回忌…
母が買ってくれた子のおもちゃはまだあるのに、母はいない。
悲しみの底はいつだったのだろう。
一番泣いたのは、死後の手続きがひと段落して職場復帰したころかな。
母の死後 半年くらいは、朝まで眠ることができず、食欲もなく、胸の鼓動が早く、背中や胸が痛かったり苦しかったり、体の不調も目立った。
父は、歯が抜けてしまったが、ストレスが歯に出るのも珍しくないという。
やはり ストレスからだろう、父も狭心症と診断された。
悲しみの底は、いつだったか。
今となっては越えたはずだけれど、
”会いたい”気持ちは、癒えて無くなるどころかどんどん募っていく。
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