母が亡くなってもうすぐ4年。
あんなに悲しくて辛かったのに、先々月は忙しさに紛れて母の月命日を忘れてしまった。
母が亡くなって1年経つまで、命日には車で30ではあるが実家へ自分たちの弁当と実家の弁当も持って仏前にはお供えをした。
我が家には仏壇は無いので、2年目の月命日からは母が好きだったものを買って帰って家族で食べた。
今でも毎日思い出して悲しい思いをするけれど、故人をしのんで何かを買って帰るとか飾るとか、思いを形にし続けるって難しいんだなと実感した。
毎年、ニュースになるけれど、39年経って遺族もその分 高齢になった。
若くて健康な人が万全の体調で天候に恵まれた環境でも登山は過酷なのに。
事故に関連する本を読んだが、娘を3人亡くした遺族が登れる限り登り続けたいとおっしゃっていた。
忘れることは決してないけれど、少しでも故人に近づけるような想いに触れられるような気がするのだろうか。
SNS で、
実母が、孫の顔を見に来たと毎週来るけれど、我が家で寝てばかりで子が泣いてもそのまま寝ている
という投稿があった。
かつて、私もそのような投稿をしていたかもしれない。
が、今思えば
孫が泣く横でする昼寝が生き甲斐なのではないだろうか。
赤ん坊は泣くものだ。
一人目育児では赤ん坊が泣くとすぐにあやすけれど、祖母世代は慣れている。
お腹がすいた、どこかが痛いという緊急時は泣き声が大きいので、抱っこしてほしい時のような甘え泣きはある程度放置してきた世代。
むしろ、昼間泣かした方が夜寝るし、肺活量がつくといって、私の末妹はいつも泣いていたイメージ。笑
母が亡くなってから気づく。
孫の子守りを母にさせてばかりいないで、母の好物を買っておいて一緒に食べればよかった。
母が抱く我が子の写真ばかり撮らないで、母ごと写真を撮っておけばよかったなって。
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