悲しみを乗り越えるのに必要な時間

母を想う

母が急死して、3年5か月が経ちました。

18日の月命日は、片道20分弱の実家へ通っていました。

今年の8月は、13日に父と我が家で盆迎えに行き、盆送りは我が家は旅行で父は仕事だったので、二人の妹にお願いしました。

今年の18日も、当然母を想い、思い出しはしましたが、月命日として母へは何もしませんでした。

毎月、月命日は辛いものでしたが、3年5か月経った今は、

美味しいものは美味しいと感じましたし、面白ければ爆笑もしますし、家族旅行は楽しめました。

母が3月に亡くなった年のゴールデンウィークは、子どもの為に出かけましたが、母が亡くなったばかりで後ろめたさのようなものもありつつ、とても楽しむという気持ちにはなれず、子どもがいなければむしろ自宅でじっとしていたかったとさえ思っていました。

ゴミ屋敷になってしまったきっかけとして、大切な人の急死というパターンが多いそうです。

そこで、行政の力を借りてとか、親族や友人が外へ連れ出してとか、掃除のプロに相談してなどいろいろ手を尽くしても何も変わらなかった人が、

例えば、占いだったり宗教だったり、歌だったり、掃除のセミナーだったりを機に、元の自分を取り戻した的なことを聞きますが、

それらの相性が合ったのはもちろんですが、それよりもきっと、それらの力がどうこうというより

大切な人を失って、自分を取り戻す必要な時間が経ったちょうど良いタイミングで出会えた

ことが大きいのではなかろうかと個人的には思います。

だって、私がそうだから。

3年5か月前のあの頃、どんな素晴らしいセミナー、歌、芸術品、旅行、美味しい物に巡り合えたとしても

どれも、心に響かなかったと思うから。

3年5か月経った今、中島みゆきの”糸”、ケミストリーの”最期の川”、米津玄師の”Lemon”を聞いて号泣しました。

歌が大好きだったrequired time母へも届きますように。

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