日中は僧侶として生と死を見つめ、葬儀や法事では無数の嘆き悲しむ人に出会い、
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夜はバーのスタッフとしてカウンターに向かう【四谷坊主バー】のメンバーたち。
大切な人を失った方の嘆きを受け止めてきた彼らが、仏の教えをベースに、
「死」の受け止め方や前に向かって歩いていくためのヒントとなる49法話をまとめました。
会者定離、愛別離苦、六道輪廻などの仏教用語や葬儀、供養などのほんとうの意味、
立ち直るための日常の過ごし方なども含め、
あなたが幸せに生きていくためのヒントが散りばめられた一冊。
執筆者が浄土真宗のお坊さんということで、我が家と同じせいなのか死後の世界観が母の法要での説法と同じだった。
誰でも確実にある死をよりどころにする生き方―
人が亡くなると通夜から始まり葬儀屋さんを間に挟むことで僧侶と遺族が直接話す機会はだいぶ減った。
母の通夜・葬式では、僧侶は念仏の際 葬儀屋さんに案内されて入場しそれが終わると帰って行った。
葬儀屋さんにとっても、葬儀の会場の都合もあるし、決められた時間の中で仕方ないのかもしれない。
しかし、執筆者がすごいなと思ったところは、通夜・葬式とできる限りの時間を遺族と過ごし、火葬場での待ち時間も、お清めの席も多くの時間を共にする。そうしているうちに、「始めまして」の状態からでも亡くなった人の人柄やご家族とのつながりがわかるようになっていると。
僧侶との打ち合わせの際に僧侶が、「お清めの席は遠慮させていただきます。亡くなられた方も ご家族もその方がいいでしょうから」とおっしゃいました。
どうしてもと言えば居てくださったでしょうが、はっきり言って僧侶だって「始めまして」の人達と食事をするよりも、御膳料を貰った方が全然いいでしょう。
そこをあえて、時間を割いて遺族と寄り添ってくれるのは今の時代貴重です。
まだ、とても若い僧侶なのに、年配の方には特にありがたがられるでしょう。
ネタバレになるので割愛しますが、
お坊さんの話28 の、”供養を通じて見えること”
お坊さんの話41 の、”四十九日”
お坊さんの話48 の”思い出を文章にする”
が、個人的に勉強になりました。
機会があったら、是非読んでほしい一冊。
大切な人を亡くしたあなたへお坊さんの話49/メタモル出版/四谷坊主バ- | ||||
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